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2008.05.30  スズメの様子

 最近、餌を撒いておかないと、ベランダで雀が「チュン、チュン」と啼くのです。今まで、ベランダに来て雀が啼くことなんてなかったのに、餌を撒き始めてからは、ベランダに雀が来ることが多くなったような気がします。
 チュン、チュンと啼かれると、まるで催促されているようで、急いでパン屑を撒いてやります。
 朝は忙しいので、台所で「あっ。チュンちゃんが来ている」なんて思いながら、ベランダから聞こえてくるスズメの鳴き声を楽しく聞いています。
 今朝は食事をしていたら、「チュン、チュン」と聞こえてきたので、そっと振り向いたら、三羽の雀が餌を食べに来ていました。最近、いつも三羽なので、うちに食べにくる雀は、どうやらこの母親らしいスズメと子供のスズメが2羽で家族のようです。
 いつもなら「あー。来てる、来てる」って思いながら、食事をするのですが、今日は少し時間にゆとり
があったので、しばらく眺めていました。そしたら1羽のスズメはいつも大きい雀のそばにくっついているのです。そのスズメはどうやら1人で餌をついばむことができないらしく、母雀と思われるスズメが自分で餌をついばんではその小さな雀に食べさせているのです。もう1羽の小さいスズメは1人で餌を食べています。
 まだ私とスズメの間には、深くて渡れぬ川?があり、近くに近寄って見ることができませんが、1人で餌を食べられないなんて、どういう事情があるんでしょう。母雀がいなくなったら、このスズメはどうするんでしょうか。
気まぐれで思いついて餌を撒いてやっていますが、まさかこういう事情のスズメ達が、うちに食べに来てくれているなんて。
 思わぬ事態になんだか責任を感じてきました。
 毎日、本当にひと屑も残さず、きれいに食べてくれていますか゛、はたしてあれだけで、充分足りているんだろうか。1羽の雀が1日に食べる量はどのくらいなのだろうか。等、いろいろ考えさせられました。
 たくさん撒き過ぎて、どうやら近くにいるらしい鳩にえさ場を奪われたらかわいそうだし、昼間いないから、度々餌をあげるわけにもいかないし。
なんだか、これからは、今までのような能天気ではいられなくなるみたいです。

松本整体 久保田昇子

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2008.05.27  水の飲み方

今年の夏は暑いという長期予報が出ていますが、暑くなると水を飲みたくなります。
先日藤田紘一郎博士の著書「ミネラルウォーターの処方箋」を読んでいたら、血液型によってかかりやすい病気があり、水も血液型によって体に合うものが違うというような事が書かれていました。
それによると
A型のかかりやすい病気は
    生活習慣病(癌、糖尿病、心筋梗塞)
    狭心症
   合うミネラルウォーター
    ミネラル成分が多い硬水
    バナジウムが含まれているもの
O型のかかりやすい病気は
    
胃酸過多
     病原性大腸菌による下痢症
     胃潰瘍
   合うミネラルウォーター
     アルカリ性の軟水
B型のかかりやすい病気は
    胃潰瘍・インフルエンザ・ストレス
    集中力の低下・肺炎
   合うミネラルウォーター
    カルシウム成分の多い水
    フレーバータイプの水
    酸素水
AB型のかかりやすい病気
    肺炎・インフルエンザ・ストレス
    疲れやすい・睡眠不足
   合うミネラルウォーター
    カルシウム成分の多い水
    酸素水・炭酸水

なのだそうです。どのメーカーの物を飲んだらいいか分からない方はこれを参考になさってください。ミネラルウォーターのラベルの所を調べると硬度○○と書いてあります。ちなみに、硬度とはカルシウムとマグネシウムの含有量が多いのが硬水。少ないものが軟水だそうです。
0~60mg/Lが軟水。120~180mg/Lが硬水だそうです。

お水もたまにはラベルを見ながら買うのもいいかもしれませんね。

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2008.05.26  スズメ餌付け計画のその後

 あれから、毎朝ベランダを見ています。すごいです。毎日全部きれいになくなっています。どうしてこのベランダに餌があることが解るんでしょうね。不思議です。
 今日はブドウパンを撒きました。パンが少し硬くなっていたので、指で触って擦ると、パン粉みたいな大きさのパン屑が出ます。こんな小さいのでもついばめるのかなと試してやってみました。もちろんいつもしている、「雀様仕様」の大きさの物もばら撒きました。そして、せっかくブドウパンなので、干しブドウも撒いてみました。パンを撒くと、15分くらいでスズメが「チュン、チュン」と啼きながらベランダに来ます。
 少し離れたところから見ていると、一番先に無くなるのが「雀様仕様」のサイズ。干しブドウは「雀様仕様」のパンが無くなってから啄みはじめました。そして、パン粉大の屑はその後、「もう無いからしょうがないか」っていう感じでちょこちょこっと食べて、本当にあっという間になくなりました。今日は三羽来ていました。
だんだんばらまく量を増やしてあげないといけないと思っています。
 それにしても、昔はこんなに簡単にばらまいた餌に寄りつかなかったです。ばらまいたお米は4日も、5日もあり、そのうちに、ばら撒いたことを忘れてしまうくらいでした。
 本当に餌がないんだなぁと思いました。かわいそう!

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2008.05.25  電車での出来事パート2

 井の頭線で、渋谷から久我山まで帰ってくるときの事です。お給料前の日曜日のせいか、普段の日曜日よりかなり人出が少なく、買い物も能率が上がり電車に乗ろうとしました。先発は急行、1分後に各駅が出ます。確実に座りたかったら各駅。立ってもいいなら急行です。ちょっと迷いましたが、今日は荷物が少ないので、立ってもいいかなと思い、急行の電車に乗りました。座席の空きはありませんが、立っている人もほどほどでそんなに混んでいませんでした。
 そこに70才代のおばあさんが乗ってきました。「誰か譲ってあげるのかしら。」と見ていると、誰も立つ様子がありません。席は4人掛けで左右8人が座っていて、そのうち若い女性が二人寝ていて、あとは中年の人達。1組小学生の子供とお母さんがおしゃべりしながら座っていました。すると、そのおばあさんは、座っている人を見渡して、1番席を譲りそうな人の前、つまり小学生の子供のお母さんの前にわざと立ち、じっと顔を見ています。おしゃべりしていた子供のお母さんは、「あっ、私。立たなければ」って感じで、急いで立ち上がりました。
 すると、そのおばあさんは、お母さんの顔をじろっと見て、ありがとうでもなく、さっさと座ってしまいました。おばあさんの作戦はまんまと大成功。
 でも・・・。わたしは、このおばあさんの、年よりなんだから、席を譲られるのは当然という態度がいやでした。どうしても座りたかったら、1分後に出る各駅に乗るべきだと思うんです。急行は外から見ても空いてる席がないことは解るし、隣のホームには、もう、各駅が来ていて、どこでも座れる状態なのです。目的地に着く時間も、5分くらいしか違わないのです。若くて元気なくせに、知らん顔している若者も好きではありませんが、わたしでも、どうしても座りたかったら次のにします。その位の知恵を使って欲しいです。
 このずうずうしいおばあさんの様子を、暇に任せて見ていると、手提げからパンフレットを引っ張り出し、2枚を縦にして見ています。上にあげている手は、肘が隣の男性の顔の前。もうどうしようもないですね。
年をとると、だんだん感性が鈍くなり、細かいことに気がつかなくなったりしますが、もう少し、周りの人が見える年寄りになりたいと思いました。
 唯一つほっとしたのは、小学生の子供のお母さんが、子供の前で席を譲った事です。この子は、「お年寄りには席を譲るのよ」と、無言でお母さんに教わったのですから。

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2008.05.23  雀様仕様

 18日の日曜日は久しぶりに特別な計画のないお休みでした。それで朝はゆっくりできると思って、ついつい2時頃まで本を読んでしまいました。ところが目が覚めたのは、いつもと同じ6時。がっかりしながら外を見ると空がきれいでした。
 ベランダに出て深呼吸していると、近くでスズメの声がします。「スズメがベランダに来てくれると嬉しいなぁ。餌付けしてみようかなぁ。」と思い、部屋に入って何かないか探しました。ちょうどあんパンがテーブルの上に乗っていました。それを持ってベランダに出て2~3回、ちぎってばら撒きました。
 その時昔私の友達がベランダに餌を置いたら、鳩がたくさん来て、下の階の人から糞が落ちてきて困りますと苦情が来たという話を思い出しました。私は鳩にもカラスにも来て欲しくないのです。スズメちゃん限定がいいのです。
 それで、釣りをした時の事を思い出しました。同じ魚を釣っても、一緒に行った友達は大きめの餌をつけて、私は小さめの餌をつけたら、友達は大きな魚が釣れるのに、私は小さいのしか釣れませんでした。初めての釣りだったので、その時は何故だか解りませんでしたが、後で、私の餌の大きさが関係したのだと気が付きました。ということは、パンもスズメさん仕様にして小さくちぎってあげれば、大きな鳥は来ないだろうと思い、今撒いたパンを小さく、小さく、ちぎって40平方センチ位の範囲に撒いておきました。
 ところがその日、用事ができ、朝の10時頃から出かけてしまい、帰ったのが午後8時で、スズメの事は忘れていました。
 その2日後、朝ベランダに出たら、パン屑が無くなっていました。風に飛ばされたのかなぁと思い、また撒いておきました。
 2日後、私のお休みの日、部屋でお茶を飲んでいると、ベランダに「チュン、チュン」という声が聞こえ、スズメがきているのです。「あっ。パン撒いてみよう」と思って急いでベランダにスズメ様仕様のパン屑をばら撒きました。
 そしてお茶を飲んでいると、雀が餌をついばんでいるのです。
「えっ! もう来たの?よっぽど餌がないんだねぇ。」と思いました。風で飛ばされたかなと思っていた餌は、本当にスズメさん達に食べてもらえたのかもしれないですね。これからはできるだけ餌を撒いてやろうと思いました。そのうちに私がそばで見ていても、平気で餌を食べに来てくれるようになることを夢見ながら。

 ところで、前回の院長日記「上手くいくといいんだけれど・・・」に書いた患者さんは、今日の予約をお忘れになり、お忙しいらしく、次の日もその次も予約できず、結局5日後になりました。「毎日治療したい」とおっしゃっていたのに、早くも崩れました。本当にどうなることやら。

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2008.05.21  上手くいくといいんだけれど・・・

 いつも過去の事を書くことが多いのですが、今回は現在進行形というか、未来形というか、位置的にはそんな感じの事を書こうと思います。
今朝、電話があり、「今日の予約が取りたいんだけれど。」と言われました。ちょうど5時の予約が空いていましたので、5時に予約をお取りしました。
 来院された方の入室の様子で、「おやっ」と思いましたが、自信がなかったので問診を始めました。そしたら「やっぱり」でした。
 何が「おやっ」で何が「やっぱり」なのかと言いますと、この患者さんを以前診たことがあるのです。何か月前か忘れましたが、(まだ寒かったころだったような気がします)治療が終わって、お客様とお話していた時、突然「腰が痛いから診てください」と倒れこむように入っていらっしゃいました。私は急いでお客様にお帰りいただき、施術をしました。でも、杖をついてやっと歩ける状態の割には、腰の状態がそんなに悪くないのです。
そしたら、半年くらい前に、突然椅子に座ると体が腰から曲がりだすという症状になって、今日は歩いていて突然イスに座っている時みたいに体が曲がりだして、歩けなくなったという事です。
 施術が終わって洋服を着ていただくのにイスに座っていただいたら、本当に手が床につくくらいに曲がるのです。曲がるというよりむしろ体を支えられず折れてしまうような状態でした。
 私はこういう患者さんは初めてでしたので、「私の手には負えないと思います。どこか病院で診ていただいてください。」というと、「何科へ行けばいいですか?」と言われたので、医者をしている娘に問い合わせると、神経科がいいと思うと言うので、そのように伝えました。
その時その患者さんが「あんたの所でやってもらえないかねぇ。今してもらったようなことはどこもしてくれなかった。いろんなところで、いろんな事をしてきたけれど、ここなら大丈夫のような気がするんだよ」とおっしゃいましが、わたしは自信が無くて、「とにかく先に神経科で診ていただいてください。」とお願いしました。
 その後、あの方はどうなさったのかなぁと思いましたが、おいでにならない所を見るとどこかで治していただいたんだろうなぁ」と思っていました。
 その時の方が、今日来院された患者さんだったのです。
それで、「おやっ」「やっばり」になった訳です。
 この患者さんは、来院した理由に「あの時以来、それこそ何箇所も病院を回った。有名な先生にも何人か診てもらった。病院だけでなく、いろんな治療もしてみた。でも、ぜーんぶだめだった。やっぱりここしかないと思ったから今日予約したんだ」とおっしゃいました。
もうここまできたら、やるっきゃありません。覚悟を決めてやれるだけの事をしてあげようと思いました。
施術中に、「先生、私はここで治るような気がする。毎日1週間来たらどうだろう。」と言われました。私は正直に「私は、この仕事を始めて22年になりますが、こういう患者さんは初めてです。ですから、1週間で治るのかどうか自信がありません。」と言いました。
ところが、患者さんの勘というのはすごいなぁと思ったのは、施術が終わって歩く姿が、おいでになったときより歩きやすそうなんです。
その姿を見たとき、できるだけの事をしてみようと思いました。
それで、「1週間毎日治療というわけにはいきませんが、できる限りやってみます」と言って、次回の予約をとらせていただきました。
私の力で、どこまで良くなっていただけるか解りませんが、頑張ってみようと思います。

松本整体 久保田昇子

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2008.05.16  素敵な話

今朝、NHKのテレビを見ていたら、C.W.二コルさんと浜三枝さんの対談をしていました。場所は二コルさんの森。木漏れ日が優しく二コルさん達を照らし、とっても気持ちのいい景色でした。誰が見ても「あんな森の中を散歩してみたい!」と思うような明るくて豊かな森でした。
この対談で二コルさんがおっしゃっていた言葉がとても感動的でしたので今日の日記に書くことにしました。

二コルさんは小さい頃病弱だったそうです。その二コルさんにおばあちゃんが「みんなと同じように元気になりたかったら、毎日森に行きなさい。」と教えてくれました。二コルさんは夏休みに毎日、毎日森に行って遊んだそうです。そしたら不思議な事に少しずつ元気になってきたのだそうです。
元気になってきた二コルさんにおばあちゃんは今度は「元気になったら木に登って木とお話をしてごらん。もっと元気になれるよ。」
二コルさんは木に登って木と話をするようになりました。そして不思議な事にすっかり病気が治ったのだそうです。
二コルさんは二十代の時日本へ空手を習いに来ました。そして日本の森の美しさに感動しました。ところが二コルさんが日本に来た頃の日本の森は全く手入れされずにほったらかしにされているところが多く、心を痛めた二コルさんは荒れた森を買い取り、手入れを始めました。そして二十年かけて、木もれ日が美しい、きれいな森によみがえらせたのです。

更に二コルさんは素敵な話をしてくれました。
森で時々音楽界を開きます。でも、来てくれた人に「音楽が終わっても決して拍手をしないでください。じーと耳を澄ましていてください。」というそうです。
音楽演奏が終わりみんなが静かに耳を澄ますと少しして森の木々がざわざわとしだし、小鳥の鳴き声が急ににぎやかになるのだそうです。科学的に証明はできないけれど、木や小鳥達が確実に音楽を喜んでいるのがわかるのだそうです。その音楽も電気的なものには全く反応がないのだそうです。

素敵な話ですよねぇ。私も二コルさんの音楽界に行ってみたいです。

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2008.05.13  忘れられない患者さん 

 松本整体のコラムに「忘れられない患者さん」を書いたことがあります。
今回は別の患者さんの話です。
 今日のお昼頃「今日予約できますか」という電話があり、ちょうど5時が空いていたので、そこにお入れすることになりました。
松本整体の治療には「靴下、ショートパンツ、Tシャツ」を持ってきていただきますので、それをお知らせするのに、「ホームページをご覧になってお電話して下さったんですか?」とおききします。ホームページを見てくださった方は大抵持ち物のページも見て下さっているからです。ところがその電話の方は「知り合いに教えてもらったので。」とおっしゃるので、では持ってきていただくものをお知らせします。と言って持ってきていただくものを説明し、5時においでになるのをお待ちしていました。

問診表を書いていただいて、「どなたのご紹介ですか? 」とおききしたところ、「いとこのK.Kから紹介されました。」との事。このいとこさんも8年前ぶりに昨年来院されました。このいとこさんに紹介されて9年前にいらっしゃったのがこの2人のおじい様(Mさん)で、今日の主人公の「私の忘れられない患者さん」なのです。
この方(Kさん)のおじい様(Mさん)は9年前に87歳で来院されました。Mさんは大垣市に住んでいらっしゃって、ご自宅からバスで大垣駅まで出て、大垣から電車で岐阜まで行き、そこから新幹線で東京まで来て、中央線と井の頭線に乗って当院までいらっしゃるのです。治療が終わると日帰りでそのままお家に帰られます。それを2週間に一度5か月続けられました。すごいでしょ? 普通このくらいの年齢でこの距離の移動なら付添があります。まだすごいのは、80歳で心臓のバイパス手術もしていらっしゃいます。心臓のバイパス手術をこの高齢でするのはすごいことなのです。この年齢と体でこんな遠くまで通って下さるなんて本当に申し訳ないことです。
 治療をしながらいろいろお聞きしたところ、会社を二つ持っていらっしゃって、とてもお忙しそうでした。
「実は最近、突然息子を亡くしました。息子が今まで会社を仕切ってくれて、わたしは助ける役に回っていたのですが、息子が亡くなってしまったので、また私が主になってやらなければならなくなったんです。息子の子供がまだ小さいのでその子が私の仕事を継いでくれるまで頑張らなくてはいけないんです。」とおっしゃっていました。
その気力がこの年齢以上のエネルギーを出していたのでしょう。私は心から「すごい方だなぁ。」と思いました。
そして昨年、おじい様とほぼ同じ頃いらしてたK.Kさんが8年ぶりにおいでになったので、「おじい様はお元気ですか?」とお聞きしたら「5年前に亡くなりました。」との事。なんでも梯子から足を踏み外して落っこちてしまい打ち所が悪くて亡くなられたとのことです。
わたしはとてもショックでした。
そして今日、そのMさんのもう一人のお孫さんが来院されたのです。
MさんとKさんの苗字が同じなのですが、住所が埼玉県なので、
私   「Kさんのお父さんはMさんの二男さんですか?」
Kさん 
「長男です。」
私   「じゃあ、おじい様のお仕事は二男さんが継がれたんですか?」
Kさん 「いえ、長男です。」
私   「えっ。そうすると、小さいお子さんを残して亡くなられた方って、K           さんのお父さん?」
Kさん 「そうです。」
私   「じゃあ、おかあさんと大垣から埼玉にお引っ越ししたの?」
Kさん 「いえ、家は大垣にあります。母も亡くなったんです。」


わたしは唖然としました。今までの話でKさんのお父さんが亡くなったのがKさんが小学生の時。お母さんはおじい様が亡くなられた次の年に突然死をされたとの事。Kさんは17才で独りぼっちになってしまったことがわかりました。
Kさんの人生がこんな風になるなんて、9年前には想像もできないことです。おじい様のMさんもさぞご無念だったでしょう。そしてKさんのお母様も、どんなにかお心残りだったでしょう。
でもお母さんの死という悲しみを乗り越え、Kさんは大学に無事合格し、埼玉県で学生生活を送っていらっしゃいます。おじい様のお顔の面影がなんとなく残っているKさんが、これからいろいろ起こる出来事を乗り越え強く生きていって欲しいと心から思います。

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2008.05.12  お墓参り

 母の日をしたくても、私は母に会えない事情があり、その代り父と主人のお墓参りに行きました。日曜日の仕事を終わらせてから行ったので、松本についたのが四時頃でした。松本駅前で仏花を買おうと思ってお花屋さんに行ったら、母の日のプレゼント用の花束を作る人でごった返し、何人もの花束を作る人を待っていたので、お墓に着いたのが五時頃でした。
 今までお墓参りは大抵午前中か午後も早い時間に行っていましたので、こんな夕方お墓参りする人なんかいるのかなぁと思いながら車を運転していると、結構墓地に向かっている車がいてびっくりしました。多分今日お参りに来た人たちは、母の日なのでお母さんの墓前にお参り来たのかなぁなどと想像しながら、私は父のお墓をお水で洗い、花の水を変えて新しいお花を入れ、お線香をあげて、一人でゆっくり父と話をしてきました。
 父が亡くなって来年で十年になります。父がこの治療法を研究し確立してくれたおかげで、今私はこうやって患者さんを持つことができ、大勢の方達から喜んでいただけることができます。私にとって、父の存在はただ、ただ、感謝の一言です。
 その日は浅間温泉に泊まりました。

 次の日は、天気予報では天気が崩れると言っていたのですが、幸い晴 れて、きれいな青空には恵まれませんでしたが、薄曇りで穏やかな日になり、主人のお墓参りに行きました。主人の御墓は昨年松本市と合併して、松本市になりましたが、松本駅から四十分ほど車で行った山の中にあります。
 山がいろいろな色の緑になって、「山笑ふ」という俳句の季語がぴったりの景色でした。鶯の鳴き声も聞こえ、幸せでした。実はこの鶯の声を聞くのが主人の田舎に行く楽しみの1つになっているのです。
 主人の生家は、一昨年、母のお世話をしてくれていた妹が無くなってしまい、母は現在、その下の妹の家にお世話になっているため、誰も住んでいません。主のない家というのは、なんとも寂しいものです。
 しかし、きれいな花たちが出迎えてくれ、昔、まだ主人も義父も義妹も元気なころを懐かしく思い出させてくれました。主のない庭で一生懸命咲いている花達。きっと下の妹が、
お花が好きだった姉のために植えてくれたのではないかと思います。そしてそこに何を植えるかは、母か゜指示したのではないのかと思われます。
 何故かというと、そこに植えられていたお花は三十五年前、私が上の子のお産のために帰ったとき、一面に真っ白に植えられていたマーガットだったからです。
 突然お墓参りに行ったので、義妹や義母に連絡しなかったため、会えませんでしたが、彼女たちの心や気持ちが伝わってくるようで、涙が出ました。
 とっても幸せな一日でした。

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2008.05.07  生きることの難しさ

 私の友達に出版社に勤務している人がいます。彼は1年に何回か自分がかかわった仕事の本を送ってくれます。残念ながら、それらの本は、本屋さんに行ってもなかなか私の眼につかない物が多いので、私は、少々ずうずうしいことながら、その友人から送られてくる本を楽しみにしています。
 少し前に、なかにし礼さんと有名人の対談集「人生の黄金律」という本をいただきました。その中で一番心に残ったのが、まだ病に倒れる少し前の長嶋さんとの対談でした。
 長嶋さんの言葉に「まぁ、こういう時代ですからね。今は生きるという事は、ある意味では大変なとですよね。生きることは苦しいよね。そう思わない? 生きてること、存命していること自体が苦しいと僕は思います。」という言葉がありました。長嶋さんは、天才的な活躍で数多くの実績を残し、華やかな野球人生を歩んだ方です。性格的にも、細かいことを気にしないおおらかな逸話がたくさんあり、それがさらに長嶋さんを不動の人気者にしている様に思われます。大勢の人達から愛されている長嶋さにこんな面があるなんて想像もしていなかったので、とてもショックだったとともに、あの長嶋さんでも生きることは苦しいのだから、まして私のようなごく普通の人がそういう風に感じるのは当たり前なんだと変に納得し安心したりもしました。
 ところが、この連休中にこの四月から発行されている週刊誌「日本の歳時記」という本を読んでいたら、1番最後の「私の好きな句」というページに小沢昭一さんの記事が載っていました。
 その中に浅草の観音様にお参りに行く時、三社様に先にお参りして、そこにある、いろいろな碑を見て歩くのが好きだというような事が書いてありました。そして、その中に川口松太郎さんの「生きるということむずかしき夜寒かな」という句碑があり、小沢昭一さんはこの句が好きで「そうなの。そうなのよ。」とつぶやきながら、声を出して読んだりしている。と書かれていました。
 またここにも「生きることの大変さ」を感じている人達がいたのです。
 実は私もあそこにお参りしたとき、意外にいろいろな碑が建っていてビックリした覚えがあります。そしてその中に川口松太郎さんの「生きるということむずかしき夜寒かな」という句碑を発見し、川口松太郎さんのような方でも、こういう思いを抱いて生きていらっしゃったんだなぁと感動しカメラに収めてきた記憶があります。
 長嶋さんも川口松太郎さんも小沢昭一さんもみんな生きることの苦しさを抱えながら、1度しかない人生を精一杯生きてきた方々なんだなぁと感動を覚えました。そして改めて勇気と何故か安心感をいただきました。

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2008.05.05  朝の楽しみが無くなった

 私は眠りが浅く、いつも目覚ましがなる前に目が覚めることが多いのです。最近は6時近くまで眠れますが、以前は4時とか4時半とかに目が覚めてしまいそれきり眠れず、布団の中で時間がたつのを待つという生活を何年もしていました。
 10年位前までは、布団の中にいてもとても楽かったのです。それは、夜明け近くなるといろいろな鳥があちこちで鳴いていて、それを聞いているのが幸せでした。自宅は三鷹市にあるのですが、郭公やほととぎす、山鳩など、遠くに近くに聞こえ、それを聞いているだけで時のたつのを忘れるほどでした。
 私の生まれは松本市で、東京から見たらはるかに田舎なのですが、市街地でしたので、鳥の声と言ったら雀だけ。それも屋根に止まっている数羽の雀の声だけでした。早起きすると空の上の方でカラスが3~4羽のどかに「カァ・カァ」と鳴きながら飛んでいる姿が見えるくらいでした。
それが、都会の東京でカッコウやほととずきの声が聞こえたら感動です。
 毎朝早く目が覚めていた頃、雀には朝と夕方ミーティングがあるという事を知りました。 
 夕方のミーティングは小学生のころ、夕方までグランドで遊んでいると、1つの木にたくさんの雀が集まって騒がしくさえずり、しばらくするとさっといなくなってしまうという経験がありましたが、朝もそうだとは知りませんでした。
 ところが東京に来て夏の朝4時半頃に近くの木に雀が集まり、とても騒がしく囀りあい、まるで情報交換をしているようでした。そんな状態が10分くらい続いたと思ったら、さっと静かになってしまう。そのミーティングに耳を澄ますのも楽しみでした。
 しかし、税制が変わり、今まで使わない土地は「市」などに貸せて、それを空き地として開放していたため、大きな木もたくさんあったのに、そんな土地にまで税金がかかるようになり、地主さんは、そんならただで「市」に貸せるより売ってしまえということになるらしく、次々と土地が売られ、家がどんどん建ってしまいました。そして、そこにあった郭公の住処やホトトギスの居場所がなくなってしまい、ある日から、全くこれらの鳥の声が聞こえなくなりました。
 その位から、山に餌がなくなった烏が、今まで上空で鳴いていただけだったのに、地上に降りてゴミを漁るようになり、雀の姿もそれとともに消えていきました。
 昔は電線に雀が何羽も止まっている景色は日常の景色でしたが、雀に代わってカラスが電線に何羽も止まっている光景に変わりました。もちろん、雀のミーティングなんて全くなくなりました。最近は電線に雀が止まっているなんて珍しいことになってしまいました。
 本当に寂しいことです。
 今は朝早く目が覚めても、小鳥の声などほとんど聞こえず、たまに聞きなれない小鳥の声が通り過ぎていくだけです。
 早く起きても何の楽しみもありません。もう、あんなひと時を望むことはできないのです。
怒りと悲しみが湧いてきます。失ったものの大きさを感じます。

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2008.05.04  おいしかった!

 昨日夜遅くスーパーに行きました。12時に近かったので多分大したものはないだろうと思いながら、なんとなくぶらぶら見ていると、しじみが目につきました。「ちょっと最近食べてないなぁ。明日の朝のお味噌汁にしようかぁ。」と思い、一パック買って帰りました。家に着くとすぐシジミをボールに入れて、少し水を入れて寝ました。
 朝、それをお味噌汁にして食べたら、なんと、美味しいこと、美味しいこと。 ぷっくり膨れた身が柔らかくて、噛むとジュワァと中から汁がでてきて、体全体に幸せを運んでくれるようでした。2杯分のシジミ汁でしたが、夜に残すと味が落ちると思い、全部平らげました。
こんなにぷっくりした身のしじみは初めてでした。
夜遅い買い物って、残り物っていう感じで、「当たり。」って感じが少ないのですが、昨日は当たりでした。美味しい食べ物に会うと心が満たされて幸せになりますね。

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