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2008.09.12  孫の熱

 孫の熱が38度5分から39度位出て四日も下がらず、保育園に預けられないので、1日面倒を見てほしいと娘から電話がかかってきました。ちょうど休診日で特別な用事もなかったので、朝8時に孫を迎えにいきました。
 パジャマ姿の孫はいつもより少し動きが少ないかなと思う程度に元気で、食欲もまあまあだとの事。
 抱き上げて車に乗せたとき、体全体から熱が発せられるような熱さがありました。仕事柄、体を触った感じで、およそどのくらいの体温かがほぼわかるのですが、確かに38度以上はある感じでした。

 家に連れてきて、食事をさせたり、お歌を歌ったり、本を読んだりといつものように遊んでも、すぐ膝の上にきたがり、何となくいつもより甘えん坊でした。大人なら、かなり大変なのに、子供は訴え方を知らないし、まだお話もそんなに上手に出来るわけではないので、甘えることで辛いのを耐えているのかなぁと思うとかわいそうで、早く熱が下がらないかなぁ。早く元気になってほしいと心から思いました。
1時半ころ「ねんね」と自分からお布団のところに行ってごろんとなりました。でもなかなか眠れず、お布団の上でごろごろしていましたがそのうちに眠りにつきました。
 ぐっすり眠ったころを見計らって、一番触りやすい足の裏を触診で検査しました。あちこちにかすかに、小さなコリがありました。私は「どうぞ熱が下がりますように。」と祈りながら、孫を起こさないようにゆっくりと優しくそれらのこりをほぐしました。不思議なことに、片方の足の方が体温が高いのです。そして、体温の高い方の足のほうが、コリが多いのです。
 私は体温の高い方の足とそうでない方の足を6対4の割合くらいでもみほぐしました。
 孫は2時間くらいお昼寝して目を覚ましました。その時はまだ抱いたとき体からすごい熱を発していたのですが、目を覚まして1時間後位に体を触ったら見事に体温が下がっているのです。
 足裏のマッサージが効いたのか、ぼつぼつ熱が下がるころだったのかはわかりません。長年の勘で効果があったのではないかなぁと思っています。
 今日娘に電話したら「あれからどんどん熱が下がって、今は平熱になっている。」との事。
ホッとすると同時に「ああ、良かったぁ。」と思いました。

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2008.09.10  おしろい花

 秋らしい青空と涼やかな風が吹き、思わず大きく深呼吸したくなるようなお天気です。こういう日が私の一番好きな日で、幸せをしみじみ感じます。
 今日は、午前中一時間くらい時間がありましたので、カメラを持って近くの神田川沿いを歩くことにしました。まだ日差しは強く少し歩くと汗がどーっと出てきます。
 神田川沿いにあるマンションの塀に沿っておしろい花がたくさん植えられていました。わたしはおしろい花はいつでも咲いているものと思っていたのですが、花の蕾はたくさんついているのですが、一つも咲いていませんでした。私は今日初めて、「そうか、おしろい花って午前中には咲かないんだる」という事を知りました。 
 そういえば、よく学校の帰りに道端の黒くて丸いおしろい花のタネを取って、硬い皮を割り、中から白い粉を出して、手に塗ったりしたっけ。あれは学校の帰りだから夕方だったんだと思いながら、治療室に帰りました。
 夜、治療が終わった後、一休みにと、例の私のお気に入りの「日本の歳時記」を何気なく見ていると、秋の季語の紹介のところに、おしろい花の記事が、ピンクのかわいい花の写真と一緒に載っていました。
それによると、「おしろい花は夕方花を開き、朝にはしぼんでしまう。」と書かれていました。また、英語で「フォー・オクロック」というそうで、呼び名のとうり、四時ころ開くのでこの名がついたらしいのです。
 改めて、私は長い間おしろい花を見ていたけれど、いつも咲いている時ばかりだったということは、夕方見ていたんだなぁ。と気がつきました。
長い間何気なくしていた習慣をおしろい花に教えてもらいました。

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2008.09.09  相撲

 最近の相撲界はごたごた続きで、特別相撲に関心がなくても、うんざりという感じです。閉ざされた狭い世界でのトラブルの処置の仕方が、外から見ている我々には何とも歯がゆい感じです。
 

 もともと相撲の歴史は古く、すでに「古事記」や「日本書紀」にも載っているそうです。
 「
本来は年の吉凶を占う神事で、のちに聖武天皇の代に、各地から相撲人(すまいびと)を集めて相撲節会が行われて以降、宮中の儀式として続いたという伝統を持つ。これが陰暦の七月に行われたことから秋の季語になった。競技の性格が強くなったのは明治以降。明治42年に東京の本所回向院に旧国技館が完成して以来、今日の相撲が定着。」(日本の歳時記 宇多喜代子 記)
 とあり、本来の神事の形から競技の形に変わってきたことで、次第に俗っぽいものに変化してしまったのだと思います。今でも土俵入りなどには、神事の面影がありますが、外国人にそこまでの精神的な伝統美を理解するのは難しいのでしょう。
 嘉納治五郎が柔道を世界中に広める夢を持ち、尽力を尽くした結果、次第に柔道は国際的になって、オリンピック種目にまでなったけれど、その代り本来の柔道の姿と違う方向に変化してしまったのと似ています。
 相撲も外国人に開放した時点で、本来の姿を維持するのがだんだん難しくなっているんだと思います。しかし相撲は日本の国技(法的根拠はありませんが)であるといわれているのですから、できるだけ日本の美しい精神と形式を残して欲しいと思います。

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